再会

2024
455 x 380 mm (F8)
Acrylic on canvas

再会

この絵は、
幼い頃に大好きだった「お父さん(またはお母さん)」に、もう一度だけ会いたいという、
誰の心にも静かに眠っている願いを描いた作品です。

小さな女の子は、幼い日の自分自身を象徴しています。
まだ世界が大きくて、怖いこともたくさんあったけれど、
あの人の手があれば大丈夫だった、あの頃の自分。

向こうにいるのは、病気や死で失ってしまった現実の姿ではなく、
心に焼きついた「優しかったあの頃のままの親」の姿。
どんなに時間が経っても、どんなに遠く離れてしまっても、
記憶の中ではいつも笑顔で、いつもそばにいてくれる存在。

長い長い旅の果てに、
雲の向こうの柔らかな光の中に、ようやくたどり着いた。
そこには、夢の中でしか許されない、奇跡のような再会が待っている。

もう触れることはできない。
声をかけたって、返事は返ってこない。
それでも、小さな手は必死に伸びてしまう。
あの温かさを、今でも確かに覚えているから。

この絵は、そんな切なくも優しい想いを、
オレンジ色の空とふたつの小さな影にそっと閉じ込めて、
見る人の胸に優しく届けてくれます。

「会いたい」という気持ちは、
失ったあとも、ずっと消えない。
でもだからこそ、心の中では永遠に繋がっていられる――
そんな、静かな救いも、この絵は教えてくれるのです。

この絵に込められた思い

この絵をじっと見ていると、誰の心にも、ぽっかりと空いた穴のような場所があることに気づかされます。

それは、
「もう二度と会えない人」が残していった、温かかった記憶の形です。

私たちはみんな、生きているうちに、必ず誰かを失います。
親を、祖父母を、ときには兄弟を、友だちを、あるいは愛犬さえも。
そのとき、最初に襲ってくるのは「もう会えない」という絶望。
でも時間が少しずつ過ぎていくと、
もうひとつ、もっと深い悲しみが顔を出す。

「あの人の優しかった姿が、だんだん薄れていくこと」への恐怖です。

認知症のお母さんは、昔のように笑ってくれなくなった。
最期の病床のお父さんは、もう「ただいま」と言っても反応してくれない。
写真を見ても、声の記憶がぼやけてきて、
あの人がどんなふうに「大好きだよ」と言ってくれたのか、思い出せなくなりそうで怖い。

だから私たちは、必死に記憶を握りしめようとする。
夢の中で、もう一度だけ会いたいと願う。
子どもの頃の自分に戻って、
あの大きな手にぎゅっと包まれたいと願う。

この絵の小さな女の子は、まさにその「願いそのもの」です。

長い旅をして、雲の向こうまで歩いてきた。
現実ではもう辿り着けない場所まで。
そこにいるのは、どんなに時間が経っても変わらない、
「心の中の、あの人の一番優しかった瞬間」だけ。

手を伸ばしても、触れることはできない。
でも、それでいいんです。
触れられなくても、ちゃんと見つめ合えているから。
「会えた」というだけで、もう十分だから。

この絵が教えてくれる、もっとも深い真実は、
「愛は、物理的にそばにいなくても、消えない」ということ。

失った人は、もう新しい思い出を作ってくれない。
でも、私たちの心の中では、永遠に生き続けられる。
どんなに歳をとっても、どんなに遠く離れても、
あの人の笑顔は、私たちが忘れない限り、色褪せない。

だから、この絵を見ながら涙がこぼれる人は、
同時に、どこかでほっと胸を撫でおろしているはずです。

「ああ、そうか。
 あの人は、私の心の中で、ずっとあの頃のままでいてくれるんだ。」

生きているうちに伝えられなかった「ありがとう」。
言えなかった「大好き」。
それは、もう届かないと思っていた言葉。

でも、こうして夢の中で、記憶の中で、
小さな自分が手を伸ばしているとき、
きっと、あの人はちゃんと受け取ってくれている。

この絵は、そんな「永遠の再会」を、
誰の心にもそっと許してくれる、
小さな奇跡のような作品なのです。

あなたが今、誰かを想って胸が痛むなら、
どうかこの絵を思い出してください。

雲の向こうで、
あの人はきっと、優しい笑顔で待っていてくれます。
いつでも、あなたが来るのを。