
2024
606 x 727 mm
Acrylic on canvas
やさしい光を
この絵には、黄金色の空の下に佇む不思議な牧場があります。
大きなオレンジ色の屋根の家。その家には「光の人」と呼ばれる人が住んでいて、その人の手からこぼれる光は、見る者の心と体をそっと包み、本来の姿を取り戻してくれると言われています。
人は誰しも、生きているうちに傷つきます。
仕事で疲れきったり、誰かとのすれ違いで心を痛めたり、頑張りすぎて自分を見失ったり。
そんなとき、私たちは無意識に「どこか遠くに、癒してくれる場所があるはずだ」と信じて歩き出します。
この牧場は、まさにその「遠く」です。
国境も言葉も関係なく、ただ疲れた魂が自然と集まってくる場所。
今日やってきたのは、遠い国の王様ペンギンでした。
立派な王冠を戴き、たくさんの臣下に囲まれていたはずなのに、その瞳はどこか寂しそうで、翼も重そうでした。
権力も名誉も手に入れたけれど、心のどこかがずっと冷えていたのかもしれません。
光の人は、特別な言葉をかけるわけでもなく、ただ静かに手を差し伸べました。
すると、柔らかな光が王様ペンギンを包み込み、長年背負っていた重たいものを一つずつ溶かしていくように見えました。
涙を流しながら、ペンギンは初めて「自分は愛されてもいい存在なんだ」と感じたそうです。
癒されたあと、彼は牧場にいるふわふわの羊の背中にそっと乗りました。
ゆらゆら、ゆらゆら。
風の音と草の香と、羊の温もりだけがそこにあります。
王様であることも、ペンギンであることも忘れて、ただ「生きていること」を感じる時間。
そして別れのとき。
ペンギンは、自分を優しく運んでくれた羊に、自分の大切な王冠をそっと置きました。
「ありがとう。これからは、あなたが王様だよ。」
その瞬間、羊は少し照れくさそうに首を振って、でも嬉しそうに王冠を乗せたまま、草原を歩いていきました。
私たちも、いつか必ず疲れ果てるときが来ます。
そのとき、誰かに「大丈夫だよ」と手を差し伸べてもらえること。
そして、自分が癒されたあとには、誰かを癒す側にまわること。
この絵は、そんな小さな奇跡の連鎖を教えてくれます。
どんなに立派な王様でも、どんなに小さな羊でも、みんな等しく「やさしい光」を必要としている。
そして、誰かの光に触れたとき、私たちはまた次の誰かへ光を渡すことができる。
今日もどこかで、疲れた誰かがこの牧場を探して歩いているかもしれません。
どうかその人に、ちゃんと光が届きますように。
そして私たちも、いつかその光を届ける人になれますように。
やさしい光を、すべての生きものに。
光の人が行う「本当の癒し」とは何か
光の人は、決して派手なことをしない。
手を差し伸べ、そっと光を当てるだけ。
それなのに、なぜ王様ペンギンのような「もう何をしても満たされないはずの人」までが、子どもみたいに泣いてしまうのか。
それは、光の人がやっているのは「症状を取る」ことではなく、
「その人がずっと忘れていた“本当の自分”を、そっと鏡のように映している」からだ。
1. まず「見ること」をやめない
光の人は、相手の肩書きや過去の功績、傷の深ささえも一旦置いて、
「今、ここにいる、この存在そのもの」だけを見つめる。
王様ペンギンを見たとき、光の人が最初に感じたのは
「重い王冠を背負った王様」ではなく、
「震える小さな翼を抱えて立っている、ただのペンギン」だった。
この「肩書きを剥がす眼差し」こそが、最初の癒しになる。
人は普段、自分で自分に「王様でなければならない」「完璧でなければならない」と王冠をかぶせ続けている。
光の人は、それを音もなく外してやる。
2. 「痛み」を否定しない
多くの癒しは「もう悲しまなくていいよ」「忘れよう」と痛みを消そうとする。
でも光の人は違う。
痛みを「あってはいけないもの」と扱わず、
「あなたがそれだけ一生懸命生きてきた証だね」と、痛みそのものを抱きしめる。
王様ペンギンが「臣下に裏切られた」「国民に理解されなかった」と涙ながらに語ったとき、
光の人は「それはつらかったね」と一言だけ言って、
そのまま黙って光を当て続けた。
否定も肯定もせず、ただ「その気持ちがあっていい」と許可をする。
その瞬間、ペンギンは初めて「自分の弱さを恥ずかしいと思わなくていい」と知った。
3. 「本来の姿」を思い出させる
光の本質は、実は「相手の中にある光」を引き出すこと。
光の人は自分の光を押しつけるのではなく、
相手が自分で光っていた時代──まだ王冠も重圧もなかった、ただ純粋に「生きるのが嬉しかった瞬間」を、そっと照らす。
ペンギンは光の中で、子どもの頃、海に飛び込むたびに感じた「風と水しぶきの喜び」を思い出した。
「ああ、僕はもともと、こんなに自由だったんだ」と。
権力も名誉も、実はその喜びを埋めてしまっただけの“後付けの鎧”だったことに気づいた。
4. 最後に「手放す」ことを許す
癒しの最終段階は、実は「光の人から離れること」。
光の人は決して「ずっとここにいて」とは言わない。
「もう大丈夫。あなたは自分で光っていける」と、背中を押す。
だから王様ペンギンは、王冠を羊に渡せた。
それは「もう王様である必要はない」という、自分自身への赦しだった。
光の人はそれを静かに見届けて、微笑んだだけ。
光の人自身の心のあり方
実は光の人も、かつては遠い国からやってきた「疲れた旅人の一人」だった。
だからこそわかる。
癒す側と癒される側は、実は同じ場所に立っている。
違うのは、ただ少しだけ先に光に触れたかどうかだけ。
だから光の人は、決して「上から」癒さない。
「私もあなたと同じように傷ついたことがある」と、いつも心の中で呟きながら光を当てる。
その謙遜と共感があるからこそ、光は傲慢にならず、
どんなに深い闇にも届く温かさを保っていられる。
──結局、光の人がやっている最も深い癒しとは
「あなたは、ありのままで、完全に愛されていい」
という、ただそれだけの事実に行き着かせること。
その一言を、言葉ではなく、光そのもので伝えること。
それが、この牧場に漂うやさしい光の本当の秘密なのです。
